こんばんは。そして、こんにちは。
ヒクシポワタの橋本と申します。
封印解除シリーズ、第4回です。
前回は「生活が宗教だった」という話をしました。
「いただきます」に命への敬意が宿っている。
宗教という言葉が来る前から、すでにそこにあったもの。
今日は、その話と深いところでつながる、
でも少し角度の違う問いから始めます。
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「空気を読む」
日本語にしかない、あの感覚です。
英語に翻訳しようとすると、
「Read the room」とか「Read between the lines」とか言うけれど、
どれもちょっと違う。
「空気を読む」というのは、
誰かに言われたわけでもないのに、
場の雰囲気を察して、自分の行動を合わせること。
これ、学校で教わりましたか?
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私は習った記憶がないんです。
でも気づいたら、やっていた。
電車の中では静かにする。
列に並ぶ。
困っている人がいたら声をかける前に様子を見る。
食事のペースを周りに合わせる。
誰かに「そうしなさい」と言われたわけじゃない。
でも、日本人はほぼ全員、同じようにやっている。
これ、すごくないですか?
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外国人が日本に来てまず驚くことの一つが、これです。
「なぜみんな並ぶのか」
「なぜ電車の中が静かなのか」
「なぜゴミが落ちていないのか」
観光客として来た人が、帰ってから言うんです。
「日本では、看板がなくても、みんな同じことをしていた」と。
ルールじゃない。
罰則があるわけでもない。
でも、揃っている。
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毎度ですが、少し脱線します。
英会話を少し勉強していたときがありまして。
まー、この話しもやたら長くなるので、一部だけ。
英会話の教材で、ネイティブ同士が会話する例題が
あって、
「日本に住み始めたとき、ゴミの捨て方が分からなくて
困ったよ~」
「ペットボトルのラベル剥がして、中洗って、蓋は取って。。。」
「隣の日本人のゴミは、洗ってあるのかって思ったよ(^0^)」
確かに、流石にゴミを洗う日本人はいないですわ。
けど、リサイクル物は全部綺麗にしますよね。
普通だと思ってたら、外国人が見たら違うみたですよー
\(^O^)/
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さて。
なぜそんなことが起きるのか。
一つの答えとして、よく言われるのが「同調圧力」です。
「出る杭は打たれる文化だから」
「同調しないと村八分にされるから」
でも私は、それだけじゃないと思っています。
というより、そのフレームで見ると、大事なものが抜け落ちる気がしています。
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日本には昔から、「場」という概念があります。
「場を読む」「場を作る」「場を乱す」。
「場」というのは、そこにいる全員で作り上げるもの。
特定の誰かが支配するんじゃなく、全員が少しずつ担う。
茶道の「一座建立」という言葉があります。
「この場に集まった全員で、この場を作り上げる」という意味です。
お茶を点てる人だけが場を作るんじゃない。
飲む人も、黙って座っている人も、全員が場の一部。
これ、茶室の話だけじゃないんです。
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「間(ま)」という感覚も、そこと繋がっています。
音楽でいう「間」は、音と音の間の沈黙のこと。
その沈黙が、音楽の一部になっている。
会話でも同じです。
日本人の会話には、沈黙がある。
その沈黙を「気まずい」とは感じない。
むしろ、沈黙もコミュニケーションの一部として使っている。
これも、学校で教わりましたか?
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「空気を読む」「場を作る」「間を使う」。
これらは全部、「個」より「場」を優先する思想から来ています。
それは「個性がない」のではなく、
「場の中で自分がどう在るか」を考える、別の知性です。
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ここで一つ、面白い話があります。
戦後、個人主義的な価値観の教育が広まりました。
「自己主張しなさい」「個性を大切にしなさい」と。
でも日本人は、いまだに「空気を読む」をやめていない。
なぜか。
学校が教えたものより、
生活の中で受け継がれてきたものの方が、根が深かったから
だと私は思っています。
前回の「いただきます」と同じ構造です。
意味を知らなくても、体が動く。
教わらなくても、やっている。
これが「地下水脈」というものの強さです。
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次回は、その「地下水脈」をもう少し直接的に掘り下げます。
「それでも残った地下水脈--外国人が日本に驚く本当の理由」
戦後の占領政策で相当壊されたはずなのに、
なぜ外国人はいまだに日本に驚くのか。
数字とエピソードで、その話をします。
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お読みいただきありがとうございました。
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